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執筆者の写真楽々かあさん(大場美鈴)🇯🇵

【第6回】環境と適応・不適応・過剰適応

更新日:8月2日

【第5回】では「障害」という言葉について少し考えてみましたが、もうひとつ、10代の自分の個性について知りたい凸凹さんに覚えておいてほしいキーワードがあります。


それは「適応」という言葉です。


「適応」とは、生き物が環境に合わせて生きていくことです。生き物は自分が生きやすい環境を求め、また、長い間にその環境に合わせて性質や習性などが変化・進化していくわけです。


金魚と少年
画像生成アプリ:AIイラスト

例えば、魚には、海で生きる海水魚と、川や湖などで生きる淡水魚がいますね(海水でも淡水でも生きられる汽水魚もいますが…)。体の仕組み自体が違うので、自分に合った塩分濃度の水の環境でないと、うまく生きることができません。

また、同じ淡水魚でも、キレイな清流の川にしか住めない魚もいれば、少し汚れている淀んだ沼のような場所のほうが居心地がいい魚もいます。


自分の性質に合った水の環境にいれば、まさに「水を得た魚」の如く、のびのびと過ごせて繁殖もしやすくなりますが、合わない環境であれば負担がかかって、子孫を残せないこともあります。


ある環境に合わせて適応してきた結果、逆に適応しにくい・できない環境もあるんですね。


人にも、その人の個性や体質によって、適応できる環境と、適応できない環境があります。


皆さんが今いる環境…自分の家や地元、通っている学校、今のクラスや所属する部活…などにいて、ほどほどに心地よく過ごせていたり、大きな支障なくそこでの目的や役割を果たせたり、時々イヤなことがあったとしてもまたそこに戻ろうと思えるのなら、それはその環境に「適応できている」ということです。


今のその環境でのびのびと過ごせる、毎日楽しくて充実している…という場合もあれば、いつの間にか慣れてしまった、他にいるよりはマシ、なんとなく落ち着くからいるだけ…という場合もあるでしょうが、まあ「そんなに悪くないよ」という感じなら、適応できていると思います。


ところが、今のその環境にいると、毎日息苦しい、居心地がとても悪い、自分の居場所が全くない感じする…などで、そこにいられなくなったり、体調を崩したり、気分が落ち込んだり、ゲームなどの別世界から現実に戻れなかったり…といったことが続いているのなら、今はその環境に「適応できていない=不適応」の状態にあるのかもしれません。


医学的に正確な判断は専門のお医者さんにお任せしますが、”凸凹学”の視点から見れば、「不適応」は、その人にのみ課題があるとは限らないと私は思っています。

「障害」同様、環境とその人との関係性によるからです。


要するに、その人の個性と今の環境が合っていれば適応しやすく、合わなければ不適応になりやすいのだと思います。


でも、環境に適応できることが、常にいいこと、正しいこととも限りません。


自分よりも、必要以上に他人の都合や要求を優先して、無理をしてその環境に合わせ過ぎている状態を「過剰適応」といいます。

頼まれるとなかなか人に「イヤ」と言えない、がんばりやさんや気配り上手さんが過剰適応になりやすいようですが、不適応同様、その人にだけ課題があるとは限りません。


なぜなら、深刻な汚染や気候変動の影響などで、生き物ががんばっても住めない過酷な環境があるように、人にとっても「こんな環境には、適応できないほうが健全・健康である」と思われる場合だってあるからです。


環境側にも課題がある過剰適応の例としては…


虐待やDVが日常的な家庭であっても、親の機嫌をとるために優等生のいい子にしていたり…。

いじめが黙認されているクラスで、自分がターゲットにならないために加害者側になったり…。

体罰指導や過剰な負担のかかる練習が行われる部活で、先生の期待に応えようとしたり…。

大人であれば、過剰労働やハラスメントが横行する職場でも、やりがいを感じてしまったり…とか。


もしも、こんな「何かがおかしい」環境であれば、適応できないほうが健全なのです。


でも、周りから見ればどんなに過酷な環境でも、その人にとって、それがフツーで当たり前になってしまっているのなら、疑問を感じることすらできないかもしれません。


今、不適応・過剰適応のどちらの状態にある人も、少し心と体を休めつつ、ゆっくりでいいので、様々な情報に触れ、視野を広げて、多様な価値観を持ったいろんな人と話してみる、というのはどうでしょう(直接人と話すことが苦手な人は、本の中の人やAIと会話するのもいいですよ)。


うちの子ども達も、教室で自分の居場所がないように感じられる時も、そうでない時も、保健室の先生やスクールカウンセラーの先生と話しに行ったり、オンラインゲームのチャットで世界中の人と話していました。


そうしていると、たとえ今はその場所が「世界のすべて」のように思えていたとしても、外の世界を知ることで、意外と小さな水槽の中で必死にもがいていたことに気がつくかもしれませんね。


ただし、世界中を探しても、なかなか理想郷のような場所は見つからないかもしれません。

「ほどほどに」自分に合っている、「ある程度なら」合わせられる環境も、そんなに悪くないのではないでしょうか。


そして、今の環境に適応できている人も、そうでない人も、


「自分に合った環境とは、どんなところなのか」

「最低限、どんな環境であれば自分は適応できるのか」

「今の環境をより多くの人が適応しやすくするためには、どう改善したらいいのか」

「誰もが生きやすい環境を持続するためには、何が必要か」


…など、自分と周りの人達が共に生きていくのに適した環境について、一生懸命考えながら、小さなことでもいいので、自分ができる具体的な行動につなげていくと、環境側とも少しずつ、お互いに歩み寄っていけるはずです。



【あとがき】

新年度・新学年が始まり、新しいクラスや学校などに適応しようと今、がんばっている人も多いと思います。こういった時には、スグに適応できてもできなくても、心身に負担がかかりやすいので、家では十分休むように意識するといいと思いますよ。

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