【第6回】では、環境と適応についてお伝えし、また、このブログでは、
個性=生まれながらの凸凹や、環境の影響などを合わせて形作られていく、その人らしさ
環境=その人が今生きている場所(家、学校、地域、部活や塾、ネットなど)
障害=人と環境との間にある、努力では乗り越えられない壁
適応=環境に合わせて生きていくこと
…といった意味で、これらの言葉を使ってきました。
今回からしばらく、その人を取り巻く環境と、それぞれに個性のある1人の個人との関係性について、じっくり考察していきましょう。
【第5回】で、私は近視なので、メガネがなければ障害がある状態となり、メガネがあれば障害がない状態となる…といったお話をしました。
では、私が仮に、メガネが発明される13世紀以前の時代に生まれていたらどうでしょうか。
例えば、人類が石化して文明がリセットされた、マンガ「Dr.STONE」の原始文明の時代だと、視力が弱いと自分の家族や仲間も含めて生死に直接関わるので、近視のスイカや金狼は、千空がメガネを作るまで、非常に苦労していました。
そういった環境の中では、近視の人には「努力では乗り越えられない壁」があり、また、大部分の人が現代人より視力がはるかに良かったので、少数派でもあったでしょう。
そうすると、実生活で不便なだけではなくて、心理的・社会的にも負担が大きく、そこに適応するのは大変な努力が必要だったのではないでしょうか(当初、スイカも金狼も近視があることを周りに隠していましたね。コミックス4-5巻あたり参照)。
ところが、現代の日本では、実に全人口の約3分の1が近視であると推計され、文部科学省の調査(※1)では小学生の3分の1、中学生では半数以上が視力1.0未満の近視だそうです。
こうなると、もはや、近視の人は少数派ではありませんよね。
現代には、原始時代にはなかったスマホやタブレット、PC、ゲーム機、テレビなど、視力に影響する文明の利器の誘惑が溢れている反面、メガネの他、コンタクトレンズやレーシック手術など、「努力」以外の科学技術や工夫の方法が沢山あるので、日常生活にも支障はないし、宇宙飛行士にだってなれるんですよ(矯正視力が両眼とも1.0以上ならOK ※2)。
つまり、今、その時代の中で一般的に普及している技術や文化などによって、人々の「当たり前」「フツー」「常識」となる、スタンダードなものの考え方や価値観も変化し、また、その環境の中で生きる人達の属性の割合などによっても「多数派・主流派」「少数派・マイノリティ」などの立場が変わっていきます。
そして、その時代のその環境と、その人の「個性」との関係性の中で、「努力では乗り越えられない壁」があったりなかったり、居心地が良かったり悪かったり、世の中が生きやすかったり生きづらかったりするのだと思います。
時代の変化に伴い、文化や科学技術の進歩などによって「環境側の常識」が変われば、そこに適応できるかできないかで、そこにいる人達の快適さや、障害物となるものも変わります。
例えば、もしかしたら、ほんの少し先の未来で、電子マネーが100%近く普及し、お店で現金がほとんど使えない社会になったら、今現在は何の不自由もなく暮らせる高齢者であっても、中には、誰かの助けがないと毎日の買い物にも支障が出てしまう人もいるかもしれません。
逆に、今の環境の中で不便さや不自由さ、生きづらさなどを感じていたり、不適応や過剰適応の状態にある人でも、時代によって、人々の常識やニーズが変わったり、科学が進歩したりすることで、悩み事や息苦しさがあっさりと解消する場合もあります。
例えば…
・学校では何かと叱られがちな人が、混乱の時代では頼れるリーダーに
・読み書きが苦手な人が、少し未来の「紙と鉛筆」が不要な世界では学者・研究者に
・人の気持ちが分からなくて悩んでいる人が、AI全盛時代ではカリスマCEOに
…とか。今のところ、異世界転生モノの話のように聞こえるかもしれませんが…
でも、もっと身近な例だと、新型コロナウイルスが流行して、人とソーシャルディスタンスを取ったり、オンライン授業になったりすることで、急に居心地がよくなったり悪くなったりした経験なら、みなさんには身に覚えがあると思います。
変化を受け入れることが得意な人も、苦手な人もいると思いますが……時間を止めることはできないので、大なり小なり、その人を取り巻く環境もその人自身も変わらざるを得ません。
つまり、その人が生きている時代と、その人個人の個性との関係性次第で、環境に適応できたりできなかったり…ということを私達は繰り返し、また、環境側の「常識」や「フツー」も時代と共に変化するのが、私達が生きる世界のデフォルト設定でもあります。
個性と環境の関係性は、時代と共に変化していくのです。
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