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執筆者の写真楽々かあさん(大場美鈴)🇯🇵

心の地雷を撤去する

更新日:5月3日

■難しい子育てと親の自己肯定感


いろいろと難しい子育てをしていると、親は自信をなくしてしまいがちだと思います。


どうしてうちの子ばっかり、こんなにうまくいかないんだろう・・・

どうして私ばっかり、こんなに大変なんだろう・・・

これは正直で自然な気持ちだと思うし、私もずっと抱えてきた想いです。

お子さんがあちこちで怒られたり、失敗ばかりしたり、トラブルが続いたり…

あるいは、一生懸命子育てしているつもりなのに、結局いつも怒ったり怒鳴ったり、疲れきったり、心配事が尽きなかったり…


…こんなことが続いていると、子どもと一緒に親の自己肯定感も下がってしまうので、私もすっかり自分の育児に自信をなくしてしまっていました。

子育てに自信をなくして不安になっていると、当然他のお子さんや他のママさんの様子が気になりますし、周囲や世間の目線を痛く感じたり、「育児/子ども/親(特に母親)はこうあるべき」のようなものに次々と縛られてゆくこともあります。


そうすると、自分や子どもの「できないこと」にばかり目がいって、「あれもこれも、ちゃんとできるようにしなきゃ」とプレッシャーを自分にも子どもにも与えてしまい、つい「なんでこの程度のことができないの!?」「こんなことでは先が思いやられる」と、理想通りにならない子どもや自分に対する不満や不安が地雷化して、「またか!」と思うキッカケでバクハツしてしまうのではないでしょうか。

今回は、心の中の地雷の話です。 (あくまで、私の体験や実感を元にお伝えしています。個別のご相談にはお応えできません)

■自信のなさやこだわりが地雷を生みだしているのかも?


自分に自信がない状態だと、不安やプレッシャーなどが、心の中に次々と地雷を作り出していくように感じます。(これは親も子も同じでしょう)

それから、体質的に元々地雷を作りやすい人もいます。

ASDなどで、こだわりが強く完璧主義の傾向のある人は、特定の言葉や音や場所などにも敏感なので、そこにちょっと触れられただけでも過剰反応をしてしまうこともあります。

お子さんやパートナーがこのタイプの場合は、常に相手の地雷を踏まないように気を使うため、まるで地雷原のなかで生活しているようなストレスがかかり、自分の心にも同じだけの「踏んではいけない」地雷ができてしまうこともあります。

さらには、現在の自分には直接無関係なハズの、過去の失敗や叱責の体験、自分の親の育児や家庭環境の問題、他人の地雷を踏んだ時の体験など、いわゆる”トラウマ”と呼ばれるものも地雷となっていて、既に心の中にいくつも埋まっているかもしれません。

(※私は世間一般の"トラウマ"という言葉の使われ方はあまり適切ではないと思っています。深い喪失体験も、ちょっとしたかすり傷も、みんな一括りになっていて、かえって”トラウマ”を増やしている気がするからです)

地雷だらけですね〜…。

心の中の地雷が多ければ多いほど、身動きが取れないように感じるのも仕方ない気もします。

ですが、親の心の中が地雷原のようになってしまっていると、子どもも身動きがとれなくなってしまうと思います。

つまり、何をやっても怒られる状態。

これは、戦争跡地などの本当の地雷原で暮らす子どもと少し似たような状態なのだと思います。

不安や恐れでいっぱいで、のびのびと自由に動くことはできないから、元々できていたことすらできなくなったり、荒れたり、消極的になったり……地雷が多い親と同じように、大きなストレスの中で暮らさなくてはならないのではないでしょうか。

恥ずかしながら、うちの長男は幼稚園時代、爆弾の絵ばかり描いていました。

そのくらい、毎日私に怒られバクハツに巻き込まれて、不安になっていたのだと思います。

地雷を沢山持つ他人に対しては「距離を置く」「近づかない」という方法も取れますが、親子ではなかなかそうは行きません。

親子で安心・安全に暮らすために、できるだけ取りましょう、心の地雷。


■心の地雷を撤去する、自分への声かけ変換と工夫

日常生活に支障が出たり、通常の子育てが続けられないほどの大きな地雷の撤去には、専門家のお力を早めに借りたほうがいいと思いますが、沢山散らばっている小さな地雷をコツコツ減らす、 私にもできた、ちょっとした自分への声かけ変換と工夫をお伝えしますね。


1. 目線を下げて「OK」を出す

前の記事でも書きましたが、自分や子どもに、ちょっとくらいできないことがあっても「それでOK」ということにしています。


ちょっとくらい怒っちゃっても、それでOK。

ちょっとくらい子どもが失敗しても、それでOK。


…なかなかすぐには、そう思えないかもしれませんが、ちょっとでもできてることや、当たり前のようにやっていることにフォーカスするんです。


例えば、「最後は怒っちゃったけど、最低限の家事とお世話はできたから、今日は私よく頑張った!」とか。

子どもも「宿題を途中で投げ出したけど、取りかかりはしたんだから、それでOK」など。


私はこの、自分&子どものできたことを認める練習を、一年くらい継続してみていますが、大分完璧主義が楽になってきました。


2.「べき」を減らして「ま・いっか」に変換する

魔法の呪文「ま・いっか」笑


自分自身がこだわり体質、完璧主義である場合は特に、意識してこの呪文を使います。夏休み、毎日「ま・いっか」の連続です・・・

しょーがないよね、子どもだもん。しょーがないよね、お母さんだって人間だもん。

あれもこれも「ま・いっか」です。

最初からうまくできなくて当たり前。人と違って当たり前。


…なかなか長年で身に付いた考え方や、元々の体質からくるこだわりをそう簡単に変えることはできませんが、まずは「ま・いっか」という言葉を意識して使うだけでもいいんです。

道半ばの私が言うのもなんですが、だんだんと自分のキャパシティが大きくなってくると、小さなこだわりは気にならなくなってきます。

同様に「親がしつけをきちんとするべき!」とか「子どもは外で遊ぶべき!」とか「宿題はちゃんとやるべき!」とか「友だちとは上手に付き合うべき!」とか「親は子どものことを第一に考えるべき!」とか「家は片付いているべき!」とか「三食バランスのとれた食事を出すべき!」とか・・・


まあ、子育ての理想や目標をあげたらキリがないのですが、それを「絶対にできなくてはならない」「〜しないと、子どもが〇〇な子になってしまう」などと思い詰めてしまうと、子育てプレッシャーになったり、できない自分や子どもを責めてしまいがちです。


ですから、これも言葉だけでも変換します。ポイントは、

・「きちんと」「ちゃんと」「絶対」など、曖昧で極端な言葉を抜く

・「親は」や「子どもは」という主語を、「私は」「うちの子は」に置き換える

・「べき」を「(できれば・なるべく)できるといいな〜」「そうありたいな〜」に置き換える

すると、、、


「私は子どものしつけはできるだけがんばりたいな〜」「うちの子にはできれば外で遊んで欲しいな〜」「宿題はできればやってほしいな〜」「◯◯さんとは、なるべく楽しく付き合えるといいな〜」「私はうちの子のことを優先して考えてあげたいな〜」「うちの部屋はできれば片付いてるほうがいいよね〜」「できれば三食バランスのとれた食事を出せるといいな〜」

・・・大分気が楽になった感じがしませんか?笑

こう言い換えるだけで、できればそうありたいけど、できなくてもダメではない、って気がします。

やむを得ず、夕食にボ◯カレーばかりが続いてしまっても、ダメではないんです(←自分に言い聞かせています。笑)

まずは言葉と行動だけでも変えるように意識すると、ちょっとしたこだわりや、かすり傷程度の小さな爆弾であれば、地雷をちょっとずつ自分で減らしていくことができます。


3.視野を広げる、オトナなものと接する

意外と盲点なのですが、子どもと密接に関わっている時ほど、親も子ども化する傾向にあるように、我が身を振り返ってみて思います。

毎日、子どもと一緒に幼児番組を見て、戦隊やライダーにハマり(←私のことです。笑)、絵本やアニメやゲームにも付き合っている素敵な親御さんほど、我が子と一緒になって感動し、泣き、笑い…。


共感的な態度は本当に素晴らしいことだと思いますが、子どもの世界にどっぷり浸かり過ぎると、子どもが怒るようなポイントで怒ったり、ちょっとしたことがガマンしにくくなったり、という副作用があるように思います(私がそうだったので、そう思います…)


特に、小さな頃、子供らしく振る舞う機会が少なかった人ほど、我が子の育児中に、封印していた小さな自分がつられて顔を出してしまうのかもしれませんね。

お仕事などで、いろんな種類の大人と接する機会がある方は、その辺のバランスが取りやすいように思いますが、一日中小さな子どもと密室状態で、他の大人と接する機会がほとんどない状況の場合、なるべく「大人」として関われる人と接する機会を増やすように意識するといいでしょう。


SNSなどで、学生時代の友人と連絡を取り合ってもいいですし、ご近所の年配の方に挨拶したり、オンライン上でもいいから趣味や仕事や勉強などを通じて子育て以外の人間関係も作ったり、とにかく「子ども一色」にならないように、接する大人の種類を増やせるように、できる範囲で工夫します。

また、直接の人間関係でなくとも、子どもと一緒に幼児番組や絵本を見つつも、時々は大人向けのドラマや映画を観たり、大人向けに書かれた本を読んだり…と、意識的に「大人な視点」を取り入れるようにしてみるのもいいでしょう。


そうすると、徐々に自分の年相応の、少し冷静で客観的な視点を取り戻すことができるので、「子どもなんだから、しょうがないよね〜」と、少々のことは微笑ましく感じられることも増えていきます。 子どもなら踏んでしまう地雷も、大人ならするっと避けることができますからね。


こうやって、心の中の地雷をできる範囲で減らしつつ、どうしてもバクハツしてしまう時には、私はトイレのような個室に行ったり、カウンセリングを利用したりと、なるべく子どもが巻き込まれない形で発散できるようにしていました。

それでもできないこともありますが、自分なりに前進できてれば、それでOK。

親だって人間なんですから。


 

初出:旧ブログ 2014.7.30公開 関連著書:「発達障害&グレーゾーン子育てから生まれた 楽々かあさんの伝わる! 声かけ変換」

大場美鈴・著(2020.6 あさ出版)p280-他収録 →Amazonで見る



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