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執筆者の写真楽々かあさん(大場美鈴)🇯🇵

決めつけない・全否定しない〜完璧主義を和らげる練習

更新日:11月9日

完璧主義を和らげる承認の練習

「決めつけない・全否定しない」という、完璧主義を和らげる練習をしています。


例えば、私はSNSでいろんなコメントやご意見、ご投稿などを頂きますが、基本的にどんなご意見でも読んだら必ず「いいね!」するようにしています。(コメントは全てにお返しできる時とそうでない時、その時々の私の都合で左右されます。ご容赦下さいね)

大半は好意的なコメントで、とてもありがたいことだと思っていますが、中には私の考え方ややりかた、うちの療育方針などと違ったご意見もあります。ですが、よほど悪意的でもないかぎり、「いいね!」を押す練習をしています。

私は、どんなやり方も「絶対に正しい」「絶対に間違っている」と決めつけたり、否定したりすることはしたくありませんし、うちではやっていない方法でも、他のお子さん・親御さんにとっては合っているかもしれませんしね。

子どもの特性・個性の違いに加え、親のコンディションや得手・不得手、使える時間や体力、お金、家庭環境や家族関係などなど、それこそ千差万別な上に、個人の人生経験からくる価値観・考え方を反映するとなると、うちと全く一緒というのはあり得ませんから、それこそ、オーダーメイド、個別カスタマイズ、個別最適化…ということになってくるワケで、適宜各ご家庭でご判断・ご調整頂ければと思っています。

この「どんな意見にも『いいね!』を押す」ということ、ポチッとするだけなので、一見とても簡単そうなことなのですが、実は結構苦しい時もあります。「そうじゃないんだけどな〜」という、自分の中の声に対して、


「でも、こう考える人もいるよね」

「どう受け取るかは相手の宿題であって、私の宿題ではない」

「そうなんだね。この人はそう思うんだね」


……というようなやり取りを心の中でして、ポチッと押すこともあるんです。

これは「承認」の練習です。

「承認」の練習を続けていると、私自身の「こだわり」や「完璧主義」、「排他的な感情」などが、徐々に緩和されてくるんですね。 そうすると、自分の育児にもいい影響が出やすくなります。

子どもが私の希望どおりの行動をとらなくても、「この子はそうしたいんだな」と思えるし、子どものこだわり行動に対しても少しは寛容になれますから。


つまり、心を広くする練習になっているんですね。

親も子も、ASDの傾向が強かったり、自己肯定感が低かったり、心身に余裕がなかったりすると、自分と違うもの、新しい経験、知らないこと、予想できない動きをするもの…などを受け入れにくくなってしまうのではないでしょうか。

そうすると、どうしても自分の知っている範囲、管理できる範囲に物事を収めたくなって、人をコントロールしようとしたり、決めつけたり、その人の全てを否定したりしたくなってしまいがちです。

「傷つけない&傷つかない会話術」津田秀樹・西村鋭介著(マガジンハウス)という、精神科医と心理研究家さんが書かれた、成人向けのとっても面白い本があるのですが・・・ →Amazonで見る


この本によると「決めつけ」は「当てても外してもいい結果に結びつく事はない」んだそうです。


これを読んでハっとしました。そうですよね〜、図星を指されても、全く見当違いなことを言われても、相手は嫌な思いをしますから。

でも、察しがよくて気が利く人や、観察力や気配りの上手な人、空気を読むのが上手な人は、特にこれやってしまいがちです。

私も高校生のとき受けた職業適正テストで、一番向いている仕事は「探偵」でしたから(笑。ちなみにあんまり安定したお仕事はでてきませんでした…)、うっかりするとつい決めつけてしまうクセが出てきます。

私は自分のことを"うちの子専門家"だと思っているし、うちの子の事なら「母ちゃんはなんでもまるっとお見通しだー!」と自負しています。

「うちの子は字を書くのが苦手」「うちの子は友達と遊ぶのが苦手」というのも、ついこの間まではそうでも、今日は違うかもしれませんよね。

それなのに、「字を書くのは嫌だろうから」「人がうちにくるのは嫌だろうから」と、決めつけてその機会を奪ってしまったり、「あんたは字を書くの苦手だから」「友達と遊ぶと必ずけんかになっちゃうでしょ」なんて、子どもに暗示をかけてしまったりすると、のびのびとした自然な発達の妨げになってしまうかもしれません。

だから、決めつけない・否定しないの練習をして、決めつけそうになったら「極端言葉を抜く」声かけ変換を実践しています。


「絶対」「必ず」「一番」「最低」「〜するべき」などの極端な言葉を抜いて、

⇒「大体は」「たぶん」「大抵は」「できれば」などに変換して、違う可能性も含めるようにしています。こうすると私の完璧主義も和らぎます。

子どもの「苦手」に対しては「今は〜かもしれないけど」と、心の中で付け加えています。


「今は」字を書くのが苦手かもしれないけど、、、

「今は」友達とうまく遊べないかもしれないけど、、、


明日も、明後日も、来年も、ずっとそうだとは限りませんものね。子どもの最大の強みは成長するということですから。

それから、著書やFBの投稿などでは便宜上、苦手な特性を明記したほうが読者さんに分かりやすいので「◯◯の苦手な子」と書いていますが、実際には我が子に向かって「◯◯が苦手」はなるべく言わないようにしています。その子の苦手を決めつけてしまうと「苦手意識」が強化されてしまいそうだから。(※1)


同様に我が子に「発達障害」があることも、受け入れつつも決めつけてはいません。

自分の特性を知る事は大事だけれど、「発達障害」の枠から出られなくなってしまう事を、親として恐れているからです。だから本人にはまだ、告知はしてません(こんな活動をしているので、そのうち自分で気づくかもしれないけど、、、)

私も「今は」発達障害かもしれないけれど〜、と思いつつ、この先、適応力がついてくれば、個性的な凸凹はあっても、「障害」ではなくなる可能性も十分にあると思っているからです。

実際、決めつけない・否定しない、を実践していると、自分も我が子も、いろんな可能性が広がってくるし、なるべく、どんな意見も承認する練習をしていると、視野が広がって、こだわりが和らいでくるのが分かります。そうすると、私自身も生き方が楽になってくるんですね。

それでも、どうしても、自分と違う他人の考え方が気になってしまうこともあります。

そんな時は、自分自身が余裕のない証拠、疲れている証拠だと思って、テキトーにだらだらして休んだり、好きな作業に没頭したりして、遊んでいます。


 

初出:楽々かあさん公式HP 旧ブログ 2014.11.17投稿


(※1)2023.6追記:最近は、自己理解の手助けとして「君は〇〇が苦手なのだから、何か工夫できることはある?」などとあえて言葉にし、凹を自覚してもらうことで自分で対処法を考えられるようにフォローすることも、ケース・バイ・ケースであります。


関連著書:「発達障害&グレーゾーン子育てから生まれた 楽々かあさんの伝わる! 声かけ変換」

大場美鈴・著(2020.6 あさ出版)p281収録 →Amazonで見る



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