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執筆者の写真楽々かあさん(大場美鈴)🇯🇵

お裾分け活動の話

更新日:1月13日

「楽々かあさんはなぜこのような個人活動をしているのか?」というと、世の中の意識や教育制度を変えたいとか、子ども達の未来を明るくしたい、とか、大それたことを目標にしているのではなくて、(まあ頭の片隅には、うちの子達が大人になる頃には、もっと生きやすい世界になっているといいなと思って微力ながら活動している部分はあるのですが……)もっと身近なところから、できることを、できる範囲で、と思っているだけなんです。

家庭でのとりくみを個人的に発信して、うちの子用に作ったツールをお裾分けの気持ちで、どこかのお子さん、親御さん、支援者さんにシェアしています。

その「お裾分け活動」の原点というのが、お隣のおばあちゃんなんです。

今のところに引っ越してきた6年前。

長男は入園前で、次男は生まれたばかり。長男は発達の特性に加えて、凄まじい赤ちゃん返り。次男は敏感体質でアトピーがひどく、毎晩背中をさすり、食事療法とダニの駆除に追われ、私はいつも寝不足でふらふら。夫は仕事で忙しく、近所に知り合いもママ友もいない。実母は他界し、義両親は遠方で頼る人がいない。

。。。本当に過酷な状況で、そして、孤独でした。

そんな中、毎日大暴れしたり、ひどいイタズラをしたり、小さな弟にやきもちを妬く長男を、大声で怒鳴って怒り続けていました。

こんなのは怒り過ぎだと分かっていても、他にどうしたらいいかの方法も思いつかず、誰に聞くこともできず、愚痴を言う相手もなくて「その時はどうしようもなかった」というのが率直な気持ちです。

毎日叱り飛ばしていたら、長男の問題行動はますます増え、悪循環に陥っていました。

そんな日々の中、ある日突然、玄関のチャイムがなりました。

モニターを見ると、お隣のおばあちゃんが立っていました。

きっと、毎日庭仕事をしているので、私の怒鳴り声はよく聞こえていたんだと思います。

見るに見かねて「静かにして下さい」とか「もっと優しくしてあげたら」と、苦情やお説教をしにきたのかと思いました。

ところが、おばあちゃんは「これ、よかったらどうぞ。お口に合うか分かりませんけど」って、お惣菜のお裾分けをくれたんです。手作りのお赤飯でした。「うちで作ったついでだから」って。

そして、お説教などは口にせず「今が一番大変な時よねえ。私もそうだったわ〜」と言って帰っていきました。

本当に、温かくておいしいお赤飯でした。

今の時代、こういうお裾分けでも「お節介」と感じる人もいるかもしれません。

でも、私は本当にその気持ちに救われたんですね。おばあちゃんから「いつも見守っていますよ。何かあったら言ってね」っていうメッセージを受け取ったんです。

それで私がすぐに怒るのをやめられた訳ではなかったけれど、何かが変わった気がしたんです。

きっとそれは、もう大きなお孫さんまでいるおばあちゃんが、昔、同じような経験をしてきたからこそ、八方塞がりで、余裕が無くて、周りが見えずにいた私にも、伝わるものがあったんだと思います。

女の人は特に、妊娠・出産・育児の大変な時期にしてもらった、周りの人や見ず知らずの他人の小さな気遣い・思いやりを、後々まで本当によく覚えているんじゃないでしょうか(反面、「夫が◯◯してくれなかった」とか「姑に××と言われた」なんてことも、ずっと根に持ってしまうこともあると思います…)

見ず知らずの人が妊娠中電車で席を譲ってくれたとか、赤ちゃんと荷物で手が塞がっている時に、階段でベビーカーを運んでくれたとか、スーパーのレジの人が買い物かごを運んでくれたとか、公園で上の子に手がかかっている時に他のママさんが下の子をあやしてくれてたとか、ちょっとだけ子どもを見ててくれたとか、私が風邪で寝込んでいる時、ご近所ママさんが子ども達を幼稚園に連れてってくれたとか……。


本当に挙げればキリがないけれど、人に頼ることがあまり得意ではなかった私でも「一人では子育てできないな」って(特に三人目が生まれてからは)身に染みて感じたし、そういった深い共感からくる小さな思いやりを心底有難く思ったものです。

そうして「今すぐには余裕が無くて無理だけど、いつかそんな風に、私も思いやりのお裾分けができるようになりたいな」って、思っていたんですね。

で、その「いつか」が来た時に(ちょっぴり見切り発車だったけど)、自分に何ができるだろう、と考えたんです。

私は、お赤飯はレンジでチンでしか作れないけど(笑)、発達の凸凹のおかげでアイデアはいっぱい出るし、絵や文章で表現することが好きなので、発達障害・グレーゾーン育児に役立つ工夫や支援ツールをお裾分けしようと思いついて、現在に至ります。


アイデアそのものというよりも、「子どものどこを見るか」などの観察のポイントや、発想の転換法などの目線を伝えていくことで接し方のコツが分かれば、かつての私のような「怒る以外に一体どうしたらいいのか全く思いつかない」という状態のママ・パパの道が開けるかもしれないから。

でも、お隣のおばあちゃんのようなメッセージを伝えられているかは分かりません。

なるべく、具体的にすぐに役立つ情報を、身近な実例を交えながら、できるだけ前向きな表現でお伝えしているので(実際のところ、いつでも前向きとはいきませんけどね)、受け取る側のコンディションによっては負担を感じる方もいるかもしれないな、と、いつも迷いながら発信しています。


それに「発達障害」と一口に言っても、本当に千差万別で、お子さんの個性やその強さも、親子のあり方も一組一組まったく違うと思うので、私の取組みやうちの子たちの成長が励みになる方もいれば、そうでない方もいるかもしれません。親には本当にいろんな感情が矛盾無く同居していると思うので。

お裾分けは、ただの「ほんのきもち」なので、お口に合わなければ、無理に受け取ろうとしなくていいですからね。私自身がやりたくてやっていることなんで、受け取れなくても気にしないで下さいね。


それに、私がお隣のおばあちゃんの境地に至るまでは、あと40年くらい時間もかかりそうだしね。


自分に余裕が無いと人にお裾分けなんてできませんから、一日一日、まずは目の前の、自分のことと、うちの子どもたちのことをやっていこうと思います。

それでもし、うちで作ったついでの「お裾分け」が、どこかの親子さんのお役に立っていれば、本当に嬉しいですね。

今日も、できることを、できる範囲で。

 

初出:旧ブログ2015.2.20公開

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