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執筆者の写真楽々かあさん(大場美鈴)🇯🇵

感覚過敏と成長の関係

更新日:2023年8月28日

こんにちは、楽々かあさんです。 このところ、「楽々かあさん公式HP」のメインメニューをブログ形式に移行する作業をしていたのですが…(HP>Blog総合ページ その中の「おうちで療育」のページを編集していて、ふと気づいたんですね。 「そういえば、うちの子達の感覚の過敏さって、小さな頃から比べれば、随分落ち着いてきたよな〜」って。 もちろん、個人差はあると思いますし、うちでもいろんな感覚あそびなどを気長に続けてきて、どこまでがそのおかげなのか、等の見分けもつきませんが、「感覚の過敏さ」というのは、「3食食べて、寝るだけ」の自然な成長でも、ある程度までは、ほどほどに緩和されるんじゃないかな〜って思っています。 例えば、多くの人が小さな頃は、コーヒーやわさびが刺激が強すぎて食べられなかったのが、成長に伴って味覚が刺激に慣れて、だんだんと口にできるように、いろんな感覚がいい意味で「鈍感に」なっていって、大丈夫になること、気にならなくなること、結構沢山あるように思います。 まるで、新品だった服が、何度も何度も洗濯しているうちに、生地がすり減って柔らかくなってくるように。 当たり前といえば、当たり前のことなのかもしれませんが…。 …とはいえ、子どもの「こうじゃなきゃイヤ!」っていう、強いこだわりや、かんしゃく・パニックなどは、感覚の過敏さに端を発していることも多く、そりゃあ本人にとっては理屈ではないのだから、「言って聞かせる」なんてのが通じにくいので、育てる方は大変ですよね。 でも、ある程度子どもの感覚が自然に成長してくると「そういえば、最近はひっくり返って、背中で床掃除しなくなったな〜」って、ふと気づくタイミングもやってくるんじゃないでしょうか。まあ、それが「いつなのか」は、それぞれの子によって違うけれども…。 前回のメルマガ「感覚とストレスケア」でも少しふれましたが、ここで、もう少し詳しく、うちのサンプル3例で(笑)、ちょっと懐かしい、子ども達が小さな頃のスケッチとともに「感覚過敏と成長の関係」について振り返ってみますね。

触覚過敏

触覚過敏のある園児の服装イラスト

幼稚園の頃、うちの子達はどの子も、制服のシャツを来たがらなくて、本当に困りました。兄達は無理やり着せても、送りの車の中で即パンツ一丁になっちゃうし。長女も、こんな風にごきげんで肌着で登園する始末。 小学校までは肌着を買う度に、タグを切っていました(最近の肌着は、タグをプリントしたり、外側につけているものも多くていいですね)。 家では、感覚あそびやくすぐりあそびなども続けてきましたが、ある程度は自然と肌が少し強くなったようで、今はタグはさほど気にしてません。中学の制服のY シャツも着れてます(家ではパンイチのときもありますが…)。 私服は肌触りや締めつけ感の少ないものなど、各自好きな素材や形は「好みの範囲」でならあります。




聴覚過敏

聴覚過敏のある子の世界のイラスト

次男が幼稚園の頃、「なんで、世界じゅう、まいにちこんなにおおさわぎしているんだろうね?」と聞かれたことがありました。 私には聞こえない音の洪水で、次男の世界は騒々しく溢れているんだろうな…と思いました(よくよく思い起こせば、私自身もそうだっだ気がします)。

その後、次男は小学校ではイヤーマフを持ち込ませてもらったり、クラスが騒がしい時には体調を崩したりもしましたが、今はクラスが少々にぎやかでも「イヤーマフするほどじゃないし、うるさいのはそこまでイヤでもない」んだそうです。 また、以前よりは、雑音と大事な話との音の区別もついているみたいです。

…とはいえ、聴覚が疲れやすいのは相変わらずなのですが…ヘッドフォンで爆音で音楽を聴いてることも。積極的に聴覚の細胞を摩耗させている気もします(汗)

視覚過敏

視覚過敏の子のこだわり

長女は小さな頃、色へのこだわりが強く、特にピンクが大・大・大好きで「全身ピンク人間」になりたがって、お出かけ前に座り込み(笑)。今は、もう少しお洒落で、スポーティな服を好み、ピンクはあんまり着なくなってしまいました。 長男も小さな頃は、光を過剰に眩しがることが多く、幼稚園の発表会のステージでライトがピカッと当たってパニックになり、本番で棒立ちになったことも。 また、小学校の頃は、いい紙を使ったテスト用紙の蛍光白色が眩しくて、字が見づらくてイライラしたようですが、今は大丈夫です(もう、紙のせいにできません)。 なので、二人共、色や光への極端なこだわりや拒否反応はなくなりましたが、視覚情報への強さはあり、趣味・嗜好や勉強法には反映されています。



味覚(&食感)過敏

汚れた手で愛情表現をする子ども

前回メルマガで「長男は、以前は『効き水』をして家の水道の蛇口を当てられるほど、味覚が鋭敏でした(今は、そこまででもないです)。」

…と書きましたが、今でも「好きな蛇口」はあるんだそうです(笑) 味にうるさいのは変わらずで、長男は各コンビニのコーヒーの違いなどを論評するように(生意気な)。 小さな頃は、上二人は偏食家で困りましたが、今では随分食べられるものが増えました。とはいえ、長男はフルーツ、次男は納豆が大嫌いなのだけは変わらず。 でも、以前は家族が「ソレ」を近くで食べてるだけでもギャーギャー言って避難したり、他の家族のほうが自主隔離で配慮していたのですが、今では自分が食べないまでも、同じ食卓で家族が食べるのは許容できるようになりました。


……こんな風に、10年くらいの長い目で見てみると、感覚の過敏さからくる強い「こだわり」が、成長に伴ってある程度落ち着き、単なる「好み」「趣味・嗜好」に変化できた部分が結構あることにも気づけました。 同時に、感覚過敏が大元の原因だったパニックやかんしゃくなどの回数も自然と減り、以前は「理屈じゃなかった」ことが、ある程度は「話せば分かってくれる」ようにも、だんだんとなっていったように思います。 私は、子どもの自然な成長は、子育ての一番の味方だと思っています。どんな子も、3食食べて寝るだけでも、確実に昨日よりも成長しているんです。 それでも、うちの子達も、他の同級生のお子さん達に比べれば、かなり敏感なほうですし、中には大人になっても「過敏なまま」という方も当然いらっしゃるとは思います。

…とはいえ、小さな頃と同じくらいの鮮烈な過敏さを維持されている方は、かなり少ないのではないでしょうか(過敏さが本当に"重症"な大人の方は、服を着るだけでも痛くて困難だと聞きました)。 私自身も、小さな頃は何かと過敏でした。

いろんな音や色が鮮烈な世界で生きていて、小学校まではほんとにしんどかったです。


でも、いつの間にか、大丈夫になっていたことも気づけば沢山あるんですね。最近では、40ウン年生きて来て、感覚がかなりすり減ってくれたおかげで、文字通り、細かいことが目に入らず、あんまり気にならないことも多くなって、だんだんと生きるのがラクになって参りました(笑) でも、感覚の過敏さは、感受性の豊かさでもあります。 成長とともに、子どもも親も、ラクになれることがあるのと同時に、失われていく豊かな世界もあって、ちょっと寂しくも、正直少々もったいないようにも思えます。

 

追伸 ご購読ありがとうございます。 ちょっと長くなりますが、コロナ後、学校でいじめが増えている…なんて話も聞き、ここで少し現実的なお話をしますね。 今まで、私は長男へのいじめ対応は、早期発見で「早めに芽を摘む」ようにしてきましたが、いじめの芽が「発生しやすいタイミング」というのがありました。 いじめ発生には、クラスの空気や先生との関係性、相手側の事情など様々な要因があり、もちろん「いじめられるほうが悪い」などとは私も思いません。

でも、子どもの成長上、親がいつも以上に気をつけたほうがいい時期は、あるように思います。 それは、「周りとの違いが顕著な時期」やできないことが続く時期」なども要注意ですが、うちの経験上、最もいじめの芽が出やすかったのが「できなかったことが、できるようになった時期」なのです(私はこれを「ヤ◯ザの足抜け期」と呼んでます)。 例えば、急に成績が伸びたとか、より健全で前向きな交友関係ができ始めたとか、得意分野で活躍のチャンスが与えられたとか…。


その子をずっと見守ってきた親にすれば心底嬉しいハズの、子どもの成長が著しく感じられる時期ほど、気をつける必要があるように思います。 今、地道に懸命にがんばっている子・方を、私は本当に、本当に、応援しています。 万が一、もし、そんな状況に置かれたら、勝たなくてもいいし、逃げてもいいから……どうか、負けないで。 楽々かあさんより


 
初出:楽々メルマガNo.086(2020.9.19発行) (※この記事はメルマガ限定配信の過去記事アーカイブです)

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