こんにちは、楽々かあさんです。 LITALICO発達ナビの「かんしゃく特集」に「かんしゃく・パニックは予防が9割!?修羅場の回避には「3大危険地帯」の心得を...」というコラムを寄稿しました(2020.10.19公開)。 それでね、どうしてもコラムに入り切らなかった、懐かしいエピソードがあって…この場をお借りして、ちょっと思い出話でも。 それは、長男が小学校低学年の頃のこと。 「そろそろアヤツが家に帰ってくる時間だな」…と身構えて数10分。長男がなかなか帰宅してこないことがありました。すると、玄関のチャイムが鳴り、ほっとして出てみたら、近所の高学年の女の子が困ったような、心配そうな顔で立っていて、 「◯太郎君が、道の途中で、泣いて座り込んじゃってて…動けないみたいです」 …と教えてくれました。そのお姉さんには遠回りさせて申し訳なかったけど、機転を利かせて呼びに来てくれたことに感謝しつつ、私は慌てて教えてもらった場所に向かいました。 すると、近くの家の改装工事のための車両が、通学路の歩道に乗り上げて道を塞いでいて、女の子に聞いたとおり、その手前で○太郎が「道が通れないから、家に帰れないー!」って、わんわんと泣きながら、座り込んでいました。 下校中の他の子ども達は慌てることもなく、すいっと歩道を降りて、ほんの数メートル、工事車両を避けて歩き、また、何事もなかったように歩道に戻って、自分の家への帰路をてくてく歩いていくのだけど、当時の長男には、たったそれだけのことが、どうしてもできなかったんですね。 だって、先生の「通学路以外は、通ってはいけません」という言葉を、長男は律儀に守っていたから。 ほんのちょっとの臨機応変なルール変更が、泣くほど難しかったんです。 なんとか長男を一緒に家に連れて帰って、ようやく少し落ち着いてから、私はちょっと自嘲気味に笑ってしまいました。 だって、同じようなことで、自分自身にも身に覚えがあったから! 私は田舎の小学生だったので、通学路の半分は山道、半分は田んぼ道で、結構な長距離を毎日イヤイヤ登下校していました。 そして、その通学路には、見渡す限り田んぼ以外に何ッッッにもない一本道の終わりに、どういうワケか小さな交差点がありました。道幅3メートル程度の道路を渡るための横断歩道に、歩行者用の押しボタン式の信号機…これが、ちーっとも変わらない開かずの横断歩道で。 車なんて、たま〜にトラクターがゴトゴト通るくらいで、ずーっと先のほうまで視界を遮るものもなくて大変見通しが良く、危険のかけらも感じられない、のどかな交差点。 私の目の前で、他の小学生達は当然のように次々と、右見て、左見て、もう1回右見て、車が来ないのを確認して、さっさと渡って、とっとと家に帰っていきました。 私は、「早く家に帰りたい…」と半ベソなりながらも、ずーっと青信号を延々と待ち続けて、ぽつんと一人で固まっていました。 だって、先生が「赤信号では、渡ってはいけません」って言ってたから。 …血は争えませんね。 今にしたら、私も、長男も、どうしてたったこれだけのことが、どうしてもできなかったんだろうって思うけれども、当時は、なんだかよく分からないけれど、もしもルールを破ったりしたら、何か、とてつもなく悪いことが起こるような不安感が強過ぎて、自分ではどうにもできずに、立ちすくんでしまっていた気がします。
そんな長男も、今ではずいぶんパニックに強くなりました。 少し前、学校からの帰宅時に、電車の故障で通学路線の一部がストップしたことがありましたが、中3になった長男はその場で徒歩に切り替え、電車通学を始めたばかりでトラブルに不慣れな中1次男も一緒に、運行中の乗り換え駅まで連れていってくれました。 実は「地震怖すぎる!」な長男は、日頃から防災意識が高く、毎年1,2回、学校から家まで3時間くらいかけて徒歩帰宅する想定訓練を自分に課しているので、慌てずに済んだようです。
「備えあれば、憂い無し」というように、小学生の頃は頑なに臨機応変にルール変更ができなかった彼も、「もし、電車が使えなくなったら、歩いて帰ればいい」等と、対処法の経験値がコツコツ貯まって、自分の「強い不安感」に対して、ある程度つき合えるようになってきたから、なんでしょうね。 だから、もしかしたら、私のあの頃の強い不安感も、今の自分の何かの役に立っているのかもしれません。 分からないことへの不安は、理解することで解消できるし、初めての経験に遭遇する機会は、生きていれば自然と減っていきますから…。
(2023.10追記:第一子の子育ては、子どもがいくつになっても常に"初めて"ですけどね〜)