一般の家庭でも手軽に療育(発達支援)を行うことができます。
うちでは感覚統合療法やビジョントレーニング等を参考に、生活の中で毎日少しずつ自然に取り組める工夫をしていました。特定のあそびに偏りがちな子に、様々な動きを体験させ、キモチ大目にスキンシップを取るよう意識するだけでも、だんだんと落ち着いて適応力が高まっていきます。
療育とは
まず、「療育(発達支援)」とは、というところから簡単にご説明します。
(この記事ページでは、主にフィジカル面からの体づくりのアプローチについてお伝えします。SST、生活スキル、言葉(=声かけ、接し方)、学習面での療育については、各ページをご参照下さい)。
発達障害のある子の心身や脳などの発達には育ちやすい部分と育ちにくい部分があります。
そのオリジナルな凸凹の成長を、適度なあそびや運動を通して、凹の部分の発達を促し、苦手な作業が少しずつできるようにしたり、敏感過ぎる凸の感覚などの調節をして、環境に適応しやすく導いていくのが「療育」だと理解しています(私自身は「療育=あそび」と同義だと考えています)。
つまり「療育」を行うことで、できるようになることが増え、適応力を高めることができます。いわば「体質改善」のようなものです。
療育法に関しては、様々あるように思います。うちでは比較的広く普及している信頼性の高い療育法を中心にしつつも、それ以外のアプローチ法も試行錯誤で柔軟に取り入れています。当HPでは、その中で、私が実際にやってみて多少なりとも効果があったり、子ども達の反応が良かったものを取り上げています。
療育はできれば専門家の指導を受けて行うのが望ましいのですが、目立った言葉の遅れなどがない子やグレーゾーンの子の場合、小学校入学まで気づかれないことも多く、また、地域によっては各種医療・支援機関などの数や受け入れ体制が十分ではなく、療育を受けたくとも、順番待ちだったり、あまり頻繁に通えないこともまだまだあるようです。
「おうちで療育」のすすめ
そんな現実的な事情もあり、私は「おうちで療育」をおすすめ(または、併用)しています。
専門家は検査結果や豊富な経験などから、適した療育プログラムを組んでくれるかと思いますが、多少効率は悪くても、毎日コツコツ日常生活やあそびを通して、親が療育を行っていくことはメリットも多く、どんな子にも家庭で手厚い療育を受けさせることが可能です。
「おうちで療育」のメリットは...
・親がスキンシップを大目に取ることで、子どもと愛着と信頼関係を高め、相乗効果で落ち着きやすくできる
・親やきょうだいと一緒に楽しみながらできる
・親が主体的に我が子の療育を導くことができる
・毎日、継続的に、ローコストで行える
・幼児期を過ぎた子どもや、成人でも体質改善が可能
・子どものコンディションやその時の課題に応じて、臨機応変に対応できる
・グレーゾーンや定型発達の子にも、発達を促すことができる
...等々、たくさんあります。
私は主に感覚統合療法とビジョントレーニング等を参考にしながら、うちの子の興味・関心や、親の都合やライフスタイル、住宅事情などに合わせて、無理なくできる範囲で取り組みやすいようにアレンジし、楽しみながらできる工夫をしています。日常生活の中でさり気なく、自然な流れで行っているため、うちの子達は療育されていることに気づいていません(気づかれても問題ないのですが、この状況を楽しんでいます)。
…とはいえ、「療育」は実はそんなに特別なことではありません。うちでやっていることは、大掛かりな施設や設備がなくても、どの家庭でも日常的に行えるあそびがほとんどです。
私自身は、「世の中の大半のあそびは、何かしらの療育になっている」と思っているほどですが、ポイントは興味の幅の狭い子に、「楽しみながらいろんな動きを継続的に経験させていくこと」と、子どもが「あそびに興味を持ったら、できるだけ気長につき合ってあげること」だと思います。
例えば、登園の際に、ちょっとだけ「道草」を許してあげて、いろんな自然の素材に触れたり、縁石の上を歩いたり、生き物の観察をすることだって、感覚の過敏性をなだめたり、バランス感覚を養ったり、目の動き・手の動きを育てるための立派な療育あそびだと思います。
また、昔ながらのおにごっこやかくれんぼも、身体能力とコミュニケーションスキル、想像力を同時に養う優れたあそびです。家庭で時間のある時に親子でトランプをしたり、将棋やボードゲーム、かるたあそびなどをすることも、ワーキングメモリを鍛え、相手の気持ちを想像する素晴らしいトレーニングになります。
子ども達が夢中になるオンラインゲームだって、上手につき合えば、あそびの中で自然と仲間と協力したり、妥協や交渉のスキルを磨くことができる、SSTの一環と見ることもできます。
また、これらの「楽しいあそび体験」の中で、相手に伝えたいことや、知りたいことが沢山出てくれば、親子間や友達との(必要に迫られてでも)会話や、知識としての語彙が増え、自然な流れでの言葉のトレーニングにもなります(私は、先に「伝えたい、知りたい気持ち」があってこそ、道具としての「言葉」がついてくるものだと思っています)。
したがって、うちでは「トレーニングをさせなければ!」「発達の遅れを取り戻さなくては!」等と気負わずに、「楽しくできれば儲けもの」くらいの気持ちでいたら、気長に続けることができました。
療育的な結果が出るには時間がかかりますから、見かけの「できた/できない」の成果にとらわれずに、家庭では「子どもに笑顔が見られたら、効果あり」程度に受け止めればいいように思います。(具体的な個別の療育あそびについては、著書「発達障害&グレーゾーンの3兄妹を育てる母のどんな子もぐんぐん伸びる120の子育て法」1章が詳しいので、よければご参照下さい)
書字障害と感覚過敏
うちで特に重点的に"あそんで"きたのが、書字障害と感覚過敏に対するアプローチでした。
字を書くのが苦手なのにも、原因となる理由は様々です。
・動体視力の未発達により、写し書きなどの視線移動が苦手
・目→脳→手指の連携が弱く、思ったように手を動かせない(不器用)
・体幹やバランス感覚の未発達により、姿勢保持ができない
・ワーキングメモリが弱く、黒板で見たものをノートに写す時に忘れている
・視覚認知力が未発達で鏡文字や、漢字のカドやトメ・ハネ・ハライなどの認識が曖昧な字を書く(数字の「2」を「S」の逆のように書く)
…など。
これらに対しては、
・手先の細かな動きを促すあそび(ホビー、工作など)
…などを、複合的に組み合わせて、日常生活の延長上で気長に取り組み、長男は苦手な漢字もテストで大きなハンデにならない程度には、なんとか書けるようになりました。
また、感覚過敏は、感覚器官の情報の受け取り方や処理方法が未発達であったり、部分的に偏っていることによって起こるようです。
例えば、耳塞ぎなどをする子(聴覚過敏)は、聴覚情報の受け取りが良過ぎて、雑音も先生の声も同じように拾ってしまい、情報選別がしにくいようです。
同様に、皮膚感覚が敏感な子(触覚過敏)、ものの形や色、光の陰影などに敏感な子(視覚過敏)…など、五感のうちいずれか、またはいくつかが、周囲の情報を過剰に受け取っている可能性があります。
このような感覚過敏があると、日常生活の中で負担感が生じます。感覚あそびなどを通して刺激に慣れ、受け取る情報の過不足を調整できるように導いてゆくといいでしょう。
例えば、うちでは、触覚が敏感でのりや絵の具が触れなかった次男へのアプローチは…
・親子のスキンシップを意識的に増量
・料理などのお手伝い
・工作、お絵かき、造形あそび
・ペットの世話
…などをできる範囲で続けたことが、触覚の過敏性のケアと緩和に役立ったようです。
また、こういった感覚の過敏さは、子どもの自然な成長によって、ある程度まではほどほどに落ち着いてくることもあり、小さな頃の「こだわり」が、だんだんと「好み」「趣味・嗜好」程度に落ち着いてくることもあります。(関連Blog「感覚過敏と成長の関係」)
ただし、これらの療育あそびの効果が実感できるまでには時間がかかりますので、それまでは「自衛」できる工夫をして、負担を減らしてあげるといいでしょう。
たとえば、聴覚過敏があるお子さんには、学校では(一時的にでも)イヤーマフを持参するなどの「合理的配慮」をお願いすることなども、検討したほうがいいでしょう。
しかしながら、感覚の過敏さは、同時に「感受性の豊かさ」でもあります。
本人に負担がかかる反面、想像力や発想力、色彩感覚や音感覚の豊かさ、人の話や情景を細かに覚えている…など、繊細で才能豊かな面もあるといえるでしょう。
ですので、すべてを克服しようと思わず、感受性の豊かさとして、大事にしてあげるのもいいでしょう。
また、子どもの成長に伴って感覚器官が発達し、自然と「気にならなくなる」「大丈夫になる」ことが増えてくる場合もあるので、あまり思いつめずに、気長に見守ってあげることも大事だと思います。
子どもの個性を大事にしつつ、本人の負担を減らし、環境に適応しやすく導いてあげるのが「療育」です。「療育」は、家庭で手軽に、あそびの延長で行うことができます。無理のない範囲で気長に続けていると、お子さんがだんだんと落ち着いていく可能性も高いでしょう。